私は、40代半ばのサラリーマンです。「プロフィール」はコチラ
この度「フィアット500C(FIAT500C)」を購入しました。グレードは「ツインエアラウンジ(TwinAir Lounge)」で、幌の色は赤です。

屋根がガバッと開きます。オープンカーです(私の中では)。
ライフプランとオープンカー
私にとってオープンカーを買うとは、計画もなくぼんやりと、それでいて確実に頭に存在し続けた「夢」でした。
「いつかできたらいいな」という程度のぼんやりとした「夢」。
それが現実になろうとしている今、それ以前とは比較にならないほど、満たされた気持ちで毎日を過ごしています。
私がオープンカーを買うことを本気で考えたのは、今後のライフプランを計画するにあたり、人生でやりたい事の整理がきっかけでした。
私は平凡な「クルマ好き」です
私は、
ごく平凡な家庭に生まれ、
ごく平凡な教育を受け、
ごく平凡に就職しました。
勤務先の変節こそありましたが、サラリーマンとして二十年以上勤めています。さしたる活躍もなく、さりとて過不足なく働き、こんな世相にも関わらず、ありがたく毎月のお給料を頂いています。
みなさんと同じように、私も子供の頃から自動車が好きでした。ようやく買ってもらった数少ないミニカーでは足らず、車の形に見えるものなら、消しゴムから石ころまで加え、空想を交えながら壮大なカーチェイスをして遊んでいました。毎日自宅マンションの窓から眼下を行き交う自動車を眺めるのが幸せでした。(その頃の夢は「将来、料金所のおじさんになる!」でした)
その後現在に至るまで「クルマ好き」は続いています。
私の「クルマ好き」は、「工業製品としてのクルマが好き」です。軽自動車から超高級車まで、コスパや機能等の完成度、美しさやエモーショナルな魅力など、製品それぞれの個性にグッとくる。「走り好き」でもなく、「いじり好き」でもなく、「特定ジャンル(車種)好き」でもない。実物はもちろん雑誌やネットの情報に触れるだけでも楽しい。お金をかけずに楽しめる「クルマ好き」です。
買うなら「今しかねぇ」
では、実際に所有するクルマはどうだったかというと、そこは大きな買物です。個性の中でも「機能性」に偏らざるをえませんでした。車という製品に詳しすぎたのかもしれません。いつかは楽しさだけで車を選んでみたい。あくまでぼんやりとした「夢」。私の中でその象徴はオープンカーでした。
そんな中、40代半ばにして初めての子を授かりました。ほぼ同じくして父を見送りました。今後の人生を整理する機会でした。残り半分の人生で、自分のやりたい事とやるタイミングを決めようと考えました。もちろん先立つ物も必要です。キャッシュフローも含めライフプランを見直しました。そこで「夢」に結論が欲しくなりました。
我が人生、オープンカーを買うのか?買わないのか?
胸に手を当て、
目を瞑り、
ココロの声を聴きました。
私のココロは「オープンカー買うよ。いつかはねー。」と言いました。
そうとなればタイミングを決める必要があります。なぜならライフプランニングに「いつかはねー。」は許されないからです。
自分が心底オープンカーを楽しめるのはいつなのか?
考えました。
考えに考えました。
そしてこれも結論がでました。
「買うなら今しかねぇ」
「“いつか“はいつまでたっても来ない」なんて言います。一歩を踏み出す気持ちが持てた事で、長年、私の心に居座り続けた「夢」を叶えることができました。
「無駄」こそ人生
私にとって「オープンカー」は100%趣味用です。家族を乗せるメインの車は別にあります。通勤時の交通手段は「電車」です。荷物は積めないし、雨の日は乗りません。「オープンカー」は生活に必要ないです。
駐車場も借りました。平置きで屋根も無い「青空駐車場」です。「オープンカー」は月の大半をそこで過ごすでしょう。経済合理性の観点では「100%無駄」です。妻も呆れています。
しかし、しかしです。
たとえ誰かに理解されなくても、自分は納得している「無駄」。この「無駄」が持てるほど、人生は豊かではないかと思います。「趣味」って、そんなものではないかと思います。
実際、「オープンカーを買う」と決めたその日から、私の心はとても満たされています。
これが納車後どうなっていくのか?自分自身でも楽しみです。